Xi_wong_chan’s blog

興味ある事を書きます。言語、地理、歴史、宗教、労働

古典の価値について

こんにちは。2回目のブログ投稿になります。

今回はですね。世の中の人々があんまりわかってないのかな〜って思う古典の価値について持論を力説したいと思います。

私は古典大好き主義者です。でも別に古い日本の物とか読んだことないです。てかそもそも日本人は古典を学校の授業で習う古い日本語のことだと思ってますが、古典というのは、その本来の意味としては古い、昔から受け継がれてきた本のことです。

では何故昔の、古い本が良いのかという事なんですけど、私は昔難しい本読んでる俺カッケーみたいや時期が高校の時にあって、ショーペンハウエルの「読書について」という本を薄いので読んだことあったんですね。全然覚えてないですけど、確か内容は、薄っぺらい現代の本を読むな、古い本を読め、古い本は、時代によって選ばれた傑作集だ。古人の知恵だ。現代の本はクソ。てかもう、本読む必要なくね?自分で考えろ。みたいなことが書いてあって、その本を読んだ私は自分で考える自信はなかったので、古典ばかり読むようになったわけです。

さて、古典のお話の前に、みなさん、本ってどう思いますか。私は本が大好きです。読むのはあまり好きではありませんが、知識が凝縮されて、詰まっている所が好きです。本というのは、自分の経験や思考を保存して、皆に公開するプラットフォームですが、そんな素晴らしい物を有効活用しない手はありません。

特に素晴らしいのが古典です。普通の方は役に立つ本と言えば、最新の本を挙げるかもしれません。しかし、古い本、古典こそが1番役に立つ本だと私は確信しています。

真の古典というのは、昔のものすっごい賢い人が、天才的にこうすれば人生、良くね?みたいなのを一生かけて、考えてくれて、それをかつ2000年以上もの間、多くの人がこの本で人生変わったと言っている本のことです。そこには先人の知恵が詰まっています。それを現代の私たちは、kindleでただで読めるのに、読んでません。あまりにも、あまりにも、勿体無いです。人間というのは、2000年ぐらいでは進化してません。昔も、今も、人間の求める本質というのは変わっておりません。現代の本は、時代による選考を受けていません。どんなに流行った本でも本質的に人類の為にならなければ、100年もしたら忘れ去られてしまいます。しかし、古典はその様な選考を2千年も受けることで、その価値は既に証明されています。皆さん、古典を読みましょう。現代の薄っぺらい自己啓発に騙されて、人生を変えようとしてはいけません。古典により人生は変わります。

次にどんな本が良い古典か考えましょう。有名どころでは、聖書とか、論語とか、コーラン、般若心経、法華経などでしょうか。どれも、2000年以上にわたって(コーラン除く)、延々と受け継がれてきた書物ばかりです。聖書は西洋では皆が誦じます(たぶん)。論語は、明治時代ぐらいまでは皆暗唱できるまで、覚えさせられました。コーランは門外漢ですが、般若心経や法華経などはそれに人生を捧げるぐらい読んでる人が現代日本でも多いです。勿論ギリシャローマ古典なども良いと思います。

どの本も一回読んだだけではわからないと思いますか。どれもこの本だけ読んでたら一生終わってワロタwwwでもこれで十分!みたいな扱いをされてきた本ばかりです。一生遊べますし、永遠に役に立ちます。

現代の人は古典の価値をわかってない人が多くて、まあそれで敵は減るのでいいんですけど、やはり、良いものはみんなでシェアしたいなと思い、この記事を書きました。読んでくださった方、ありがとうございます。

これから起こる事は決まっているのか

ビッグスケールなタイトルですが、別に理論的な話でもなんでもなく、哲学とか全くない個人の感想です。

私は小さい頃から、これから起こる事はもう決まってんじゃね?みたいな漠然とした感覚がありまして。これは、「世界はビックバンによって始まった。ビックバン直後の世界を動画の停止のように止めてみると、その時点の分子とか原子とかの位置は決まっている。そして世界は普遍の物理法則などによって動いている。つまりそれから時計の針を進めても行き着く先は同じでは?」みたいなのを小学生ぐらいに思って小学生からその考えを全く進歩させる事なく生きてきたからです。

別に今まで、この考えを皆んなに言ってきたわけでもないですし、賛同を得られたことも否定されたこともないです。

ところで、話は少し変わるのですが、私はキリスト教系の大学に通っていたことがあり、それでも全くキリスト教を学ぶ事なく、過ごしていました。ですが、当時生来の人に気を使い過ぎる性分のせいで、かなり病んでおりました。そして打開策として、中国留学をすることで人生を変えられると思った私は中国へ留学した私は案の定上手くいかず1年後には外に出られない対人恐怖のせいで休学を余儀なくされたのです。

その後、半年の休学後、少しずつ身体を慣らしていき、なんとか卒業の目処が立ったものの、まともな就活はほぼ、諦めていました。しかし、運良く今の会社に拾ってもらい、まともとは言えないかもしれませんが、一応毎日会社に通えるようになりました。

その頃芽生えてきたのが、感謝という感情です。私のようなダメ人間でも、運で救われたんだ。という感謝から、様々ない形で感謝の対象を探すようになりました。そして、仏教などの宗教を学ぶうちにキリスト教、それもキリスト教改革派と呼ばれる予定説を掲げる教派の思想に強く共鳴しました。

ここで、これから起こる事は決まっているのか、というタイトルの話に戻ります。そう、私はこれから起こる事は全て神によって予め決められているという予定説に強く共感したのです。私の人生で今まで誰にも認められることがなかった、私の似非運命論は、神という圧倒的な支持者を得たのです。

以上私が、キリスト教を信奉するようになった過程です。そもそも何故ブログを書こうと思ったのかというと、自分のその時々の思想とかをわかりやすい形で保存しておきたかったからです。

改革派の教理が気になる方もいるかもしれないので、それはまた気が向いたら書こうと思います。

読んでいただきありがとうございます😊